shimamemo

1日400文字を目標に書いてきます。

2018/02/27

昨日多摩川沿いを散歩した。

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暇だし行ってみるか、と軽い気持ちで向かった。しかし川沿いの歩道へ向かうつもりが間違えて、川に架かる橋へと出てしまった。

帰り道の長さを考えると憂鬱になったが、せっかくなので渡ってみることにした。

向かい風が強く吹いていた。まだ肌寒いが空気や日差しには春の兆しを感じる。耳には風の音がびゅうびゅうと響き、たまに遠くから電車の走る音が聞こえた。

眼下の多摩川、連なるビル、彼方に霞む山を眺めた時、ただ一人で景色を見ることが久しぶりのことである、ということに気づかされた。

思えば最近は、都市部で接客のバイトに明け暮れて自然に触れる機会がなかった。

人と話すことが楽しい。と思っていたからこそ、ただぼーっと景色を眺めた時の解放感に驚いた。

この経験で考えた仮説は、人は細々としたでこぼこしたものに疲れ、ただそこにある。ことさら巨大な面に安堵感を覚えるのではないか。ということだ。

細々としたでこぼこ、はビルや都会の街づくりを指している。さらに都会は人も多く、それもストレスの原因である。

それがない、自然の力(重力など)に従うありのままの存在。巨大な、を付け加えたのは実体験もあるが非現実的な余白現代社会にはほとんどないから、癒されると考えた。